虱の記

高熱量低脂質。

四本足

20年以上世話になった歯医者さんが、60手前でぽっくり逝ってしまった。詳しい病状は院関係者にも多くを語らなかったらしい。だからどんな病魔に冒されていたのか、いまとなってはわかりようがない。最終的には肺から、ということであった。

 

まさに「肝っ玉母さん」て感じの人で、私が歯磨きをサボって盛大な虫歯をこさえると「あっらー! こりゃひどいわ!」とか「ひゃー!」とか言いながらゴリゴリ治してくれた。煙草吸い始めたのがバレて怒られたこともあったな。「禁煙外来いきなさい! いいところ知ってるから!」とか言って。歯裏の着色ですぐバレる。

 

この歯科医院について覚えている最古の記憶は、スクリーンのようなワイドな視界に映り込んだ、四本足だ。

 

幼少の私は、はじめて来た歯医者にビビり倒していた。いざ、名前を呼ばれて診察室に入るという段階になると「やだーーー!!」と叫んで待合室のベンチの下に潜り込んでしまったのだ。でもそのあとは医者や衛生士にほめられるくらい大人しかったので、たぶん、そういう漫画みたいなことをやってみたかっただけなんじゃないかと思う。

いまでも医院にいる衛生士さんのひとりは、その頃ちょうど勤めはじめた頃だったそうで、まるで蛸壺の中のタコのごとくベンチの下にへばりついた健康優良児(重量級)にほとほと困り果てたそうだ。(この歳になって「○○ちゃんはあのとき〜」という語り出しで何度もこの話をされるとめちゃくちゃ恥ずかしい。)

 

この衛生士さんと母上の4本足に引き出された私は、あえなく診察台に連行され、刑が執行された。ここから歯の弱い私の、長きに渡る通院歴がはじまったのであった。

 

ほぼひとりで医院を切り盛りしていたセンセーは、一昨年だかに転んで足をやって2週間ほど休んだ。よく、「人は足を痛めると弱る」と聞くが、本当にその通りだと思った。戻ってきたセンセーはなんだか一回り小さく見えた。

それから1年くらいして、つまり去年のはじめくらいだったと思うけれど、センセーはまた1ヶ月くらいの長期の休みをとった。受付のお姉さん(この人もベンチ事件の頃からいらっしゃる)にどうしたのか聞いてもいまいち要領を得ない答え。思えば、いやな予感はこの頃からしていた。なぜなら、この時に戻ってきたセンセーは気のせいなんかじゃなくて、本当にふた回りほど小さくなってしまっていたからだ。

そして昨年の10月ごろ。またまたセンセーは休みをとった。今度は戻ってこなかった。

 

通夜に行ってみると、参列者がとても多くて驚いた。仕事にストイックな人だったし、学会や協会などからの信頼も厚かったのだろう。地域の小学校の歯科検診もすすんで引き受けていたようだ。なんと市長まで来ていて、簡単な弔辞を読んでいた。

 

センセーはいったい何万人の口の中をのぞいたんだろうか。週に一回は特養の子どもたちのための通院日をつくったりもしていたくらいだから、特別な思い入れがある人は多かったはずだ。医師が一人しかいないもんで、待ち時間はめちゃくちゃ長かったけれども、患者が途絶えたことは見たことがない。ということはこれからその何万人の人たちがセンセーに世話になった歯でもって、死ぬまで飯を食うわけだ。

 

ああ、この歯たちを治してた人は凄い人だったんだな。これから自慢しよう。

 

にしても、人の死というのは呆気ない。味気ない。やるかたない。

 

センセー、禁煙外来、まだ紹介してもらってないよ。肺が真っ黒になっちまう(禁煙しろ)。

 

お題「わたしの黒歴史」