虱の記

高熱量低脂質。

そうだ、今日はプレステで遊ぼう。(『運び屋』感想)

仕事に全てを捧げる男、もしくは家族を顧みない男・アールは、ネットの利便性に押しつぶされ、事業に失敗して全てを失った。 
とはいえ、彼には仕事しかなかったので、言い方を変えれば失業しただけにすぎない。くだらん、と吐き捨てたネットに負けた。 

はじめは自分でも知らずにヤクの運び屋となってしまう。報酬はたんまりもらえるので、味をしめて、何度も何度も…。それでも、利他的な金の使い道が中心なのであまり憎めない。アールの古風ながらもズボラで親切な人柄が、組織の人間をどんどんユルくさせていくところが笑えた。でも、頭取までユルくなった結果、部下が後ろからズドン。機械的合理主義人間が台頭して、アールも大ピンチ……。 

ここまであらすじを確認してから気づいたけれども、アールは「古き善き」の象徴なのかな。現代の技術革新についていけず、姿を消していった「古き善き」ものども。新しいものにとってかわられて、いまの世代はその"新しいもの"しか知らない世代になりつつあるけれども。 

たとえばネットがなけりゃ我々の世代は本当に無知な人間だろう。知識や経験を軽んじたからである。たとえばわたしたちはゆとりを知らない。確かにいままさに筆者がさわっているスマホ等の端末によって、いつでもどこでも仕事ができるようになった。だがそれは、仕事と生活が不可分になり、本当の意味での余暇は消失したということも意味する。 


比較からは常に新しいものが生まれうる。貴社と他社を比べてご覧なさい。そうしてなんの違いが成果の違いに繋がっているのか考えることもあるでしょう。その意味で、現代を超克するのに、過去を見直すのは往々にして有意義である。 

アラ? でも待てよ。ということは、「家族を顧みない」というのは旧世代の価値観なのか? それともいろんなところでガキをこさえてきたイーストウッドの反省? でも確かに、現代のほうがプライベートは大事にされるようになった気がする。 

私はどう生きよう? 

うーむ、和洋折衷ならぬ、"今昔折衷"ということで、ここはひとつ……。