虱の記

高熱量低脂質。

俺は一人だ、なんて言うなよ(『グリーンブック』感想)

小気味よいユーモアにあふれ、笑みをこぼしながら見ることができる良作。 

「インテリ黒人と粗野な白人」のコントラストが、レイシズムを生み出した背景にあったであろう「文明と野蛮」の二項対立と対照を成しているように見えた。 

ドクの影響でトニーは差別意識を薄めたり、教養を身につけていったりする。また逆にトニーの影響でドクはかつてならば「低俗」と切って捨てたであろうあれこれにふれるようになるし、孤独や抑圧に向き合うようになる。互いが互いに影響されつつ、善くなっていくさまは見ていて気持ちがいいのである。 

彼ら二人は当時のアメリカでは(もしかすると今のアメリカでも)はみ出し者なのである。居場所がないのである。でも、考えてみればそれは彼らだけの問題だろうか。なぜなら、どんな人間も、どこかの局面では孤独だからだ。学校でも会社でも、孤独な瞬間のない人間などどこにもいない。大切なのは、自分がよすがをどこに求めるかだろう。「俺は孤独だ」と割り切った顔をして、差し伸べられた手をふりほどいたり、届きそうなのに手を伸ばさなかったりということはしないようにしたい。それはただの弱虫だ。はじめは断りながらも、改めてトニーの家を訪ねた最後のドクの勇気を褒め称えたい。彼はもう一人ではない。 

舞台となった1962年頃には、南部各州でまだジム・クロウ法と総称される人種差別法が現存していて、法の名の下に黒人がレストランや病院から締め出されていたとは知らなかった。いつぞや、人種差別についてアカデミーは糾弾されていたが、それ以降、差別に切り込んだ作品の受賞が増えたことは気のせいではないだろう。しかしそれに違和感を呈することにあまり価値はない。変革とは常に、違和感をかもすものだ。