虱の記

高熱量低脂質。

愛のアスペクト(『パワー・オブ・ザ・ドッグ』感想)

 以下あらすじ。冒頭のみ。

 100年くらい前のアメリカ西部・モンタナが舞台の物語である。

 牧場主のバーバンク兄弟は、大卒インテリなのに荒々しくマッチョ思想な兄のフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)と落第して出来は悪そうだが物腰柔らかの弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)の二人。でこぼこながらも兄弟の絆は確かなようで、若者たちを率いながら牧場経営に精を出す。

 あるとき、牛たちを移動させる道すがら、2人をふくむ一行は街道沿いのホテル立ち寄った。そこでは、未亡人のローズ(キルスティン・ダンスト)が経営を切り盛りし、息子のピーター(コディ・スミット=マクフィー)を養っていた。他人に対しても威圧的なフィルはピーターをいびり、ローズはその様に心を痛める。さらにジョージがその様子に心を痛め……。ローズを慰めるうちにジョージは彼女を見初め、求婚、ローズはバーバンク家に嫁入りすることとなった。

 しかし、新たに家族となった二人と、ジョージのことが気に入らないフィルは、彼らに攻撃的になっていく。

 

 

 以下、感想。含ネタバレ。

 冒頭からフィルは徹底した「男の子主義」で、やることなすこと考えること全てがマッチョな人物として描かれる。風呂にも入らない、身なりはカウボーイ、バンジョー(?)片手にベッドで横に。バーに着いたらショットを煽る。そして、男がなよなよした様子を見せると即叱咤する。「男のくせに」と。ただ、はじめのほうからちょっとした違和感を覚えるのは、フィルが女に寄り付こうとしないことだ。普通、西部開拓時代の男像といえば、日本のヤクザ映画と同じく「酒!女!金!」だというイメージなのだが、このうち「女」が欠落している。それだけがずーっと違和感として残りながら、映画のストーリーが進行していく。

 フィルという人間は、かつてバーバンク兄弟に牧場経営を教えた「ブロンコ・ヘンリー」なる男から多大なる影響を受けている。だから、何かにつけて「ブロンコ・ヘンリーは……」とか「ブロンコ・ヘンリーなら……」とか言うし、彼が使っていた鞍を受け継ぐなどしている。これだけなら、彼に心酔しているのだな、で終わる。ただ、フィルが自分の聖域としている水場で受ける衝撃的な姿で、その理解が甘かったことが明らかとなる。そこでフィルは、乗馬ズボンのまたぐらから黄ばんだ白い布を愛おしそうに取り出す。そしてそれを撫でたり、嗅いだり、戯れたりする。ちらりと見える布に刻まれたイニシャルは、「BH」。そう、フィルがブロンコ・ヘンリーへ抱くのは心酔や敬意を通り越して、愛情であったのだ。これがピーターに知れてからは彼らの関係性が変わっていく。物語が転び始めてからはほのぼのとした、それでいてぴりついた緊張感に満ちていて、最後の30分ほどは特に引き込まれた。久々にいい映画を観た気持ちになった。

 

 さて、私はこの映画は愛の映画であると評することにしよう。

 まず、フィルについて。彼はゲイなのだろう。ゲイをテーマとした、自分が見てきた映画でいうと、『ブロークバック・マウンテン』や『ミルク』が印象深い。名作だった。『ムーンライト』が賞レースを総なめしてからはさらにLGBTQ+を扱った作品は多くなってきたように思う。私はヘテロで、ついつい狭い了見で物事を見てしまっていることは自覚しているつもりであったが、今作のフィルを見ていてまたそんな自分に気づかされることになった。「日本人と外国人」と語るように、我々は見知らぬ他者を大きな主語でひとくくりにしがちだ。それはおそらくセクシャリティにおいても同じで、「ゲイ」とひとくくりにしてしまうことは私たちの理解を阻害してしまうのではないだろうか。だって、ヘテロの男が女に愛として求めるものも、母性だったり友情だったりと、多岐にわたるではないか。だから、LGBTQ+というジャンル分けがあって、その中のLやGに分類される人々の中でも、愛のかたちは様々にあるはずなのだ。フィルがブロンコ・ヘンリーに抱く愛は何であったか。フィルは生来のゲイなのではなくて、ブロンコ・ヘンリーという個人に心酔するあまり、いわゆるゲイとくくられる性的傾向を身につけていったように思えた。そこには敬意と情熱などがあふれ、湿っぽいものはないように感じた。そして、その愛は物語の後半でピーターに向けられる愛とは別種のものだろう。フィルはピーターにとってのブロンコになりたかったのではないだろうか。

 しかし、そうしたフィルの愛は成就しない。なぜなら、ピーターのローズに対する愛がそれを阻むからだ。ピーターの愛は猛毒で、ローズを傷つけるものは何者でも排除してしまう。それは、フィルだけに限った話ではないということが、エンディングではにおわされていた。

 タイトルにもなっている「the power of the dog」とは旧約聖書からの引用だ。この行は原文英訳では「Deliver my soul from the sword; my darling from the power of the dog」となっている。字幕ではmy soulもmy darlingも「私の魂」と訳していたが、ここは「私の魂を剣から、私の愛しい人を犬の力から解放してください」くらいに訳したほうが映画の本筋ともつながってくるのではないだろうか? ピーターにとってローズを傷つけるものこそが「犬の力」であって、それはすなわちフィルのことだったのである。しかし、おそらく、フィルにとってはローズやピーターが「犬の力」であったことと思う。自らの性傾向からすれば2人の存在は異物でしかないからだ。

 各々が抱える愛のぶつかり合い。それが今作の本質だ。はじめは何の映画なのかわからないという思いを抱いていたが、この点が見えてからは途端に魅力的な作品へと化ける。荒々しくも切ない愛の物語であった。

 

 ベネディクト・カンバーバッチはうまい! 『シャーロック』ではじめて見たときの感動を思い出した。神経質な人の役をやらせるとハマるね。ジェシー・プレモンスも頼りない男の雰囲気をよく出していた。が、もともとはポール・ダノがこの役にキャスティングされていたそうで、そっちも見たかったなと思ったり。コディ・スミット=マクフィーは不気味なヒョロガリ青年を好演した。ほー、なかなかやるねこの子、はじめて見たけど。と思っていたら『ザ・ロード』の息子役の人だった。大きくなったなあ。いろんな意味で。これからが楽しみ。