虱の記

高熱量低脂質。

覚悟

駅から職場まで歩いている途中、凄い人を見た。

 

はじめに僕の意識に入り込んできたときは、その人は少し先のほうにいたので、何か特別な思いは抱かなかった。この時期だし、リクルートスーツを着た女性が街を歩いていることには何の不思議もない。ただし、明らかに道で出くわしたのだろうと思われるオバちゃんと立ち話をしているので、オヤと思った。公共の場で初対面同士が話している場面には、なぜか興味をそそられる(おそらくそれは僕の日常にはない光景だから、何でそうなったのか、ということを可能な限り推察してしまう)。

近づいていくと、立ち話が生まれた理由がわかった。その人は、抱っこ紐で赤ん坊を負うていた!

 

追い越しざま、じろりと見てしまったのだけど、2人は立ち話に夢中で、さして不自然がられることもなかった。前を向き直して歩いて行き、職場につくまでの間、いや職場に着いてからもその光景はしばらく頭を離れなかった。

大方、オバちゃんも僕と同じような感動を覚えて、その人に話しかけたのだろう。

 

20そこそこで子どもをつくることに対して、今の世の中は間違いなく優しくない。大学進学率と第一子出生時年齢には正の相関が認められるそうだ。やれ常識がない、だとか、やれ計画性がない、だとか、やれ子どもが可哀想だなどという声が聞こえてきそうだ。実際、自分の身の回りに在学中に結婚・出産をする人はついぞ現れなかった(自分は学生、奥様は社会人という人はいた)。僕には縁がなかったこともあるけど、じゃあもし相手がいたとして、子どもをつくろうと思えるかというと、たぶん無理だった。子どもどころか、結婚さえ盛大に躊躇していたと思う。何故か、と言われるとやっぱり僕も金や社会通念みたいなもの引き合いにだしてしまうはずだ。でも、それは逃げ、自己正当化をしているだけだ。問題は本当はもっとシンプルなもの。ずばり、覚悟ができないからだ。

 

もし結婚したら、もし22,3で子どもをこさえたらどうなるか。そう考えずにはいられない。家庭を築くということは、自分の生活は永遠になくなり、そこには家族の生活が立ち現れる。安寧を得るために安寧を捨てることへの恐怖を感じる。

 

その点、彼女の存在の堂々さたるや。

彼女は子を連れて説明会に行ったり、筆記試験を受けたり、面接に臨んだりするのだろうか。子供が泣き出したらどうするのだろう。ぜひ、堂々と笑顔であやしつけていて欲しい。すみません、なんて言わないでいて欲しい。

 

僕が見た彼女に賛辞を送りたいところだ。そして、願わくは子どもが健やかに育たんことを。