虱の記

高熱量低脂質。

パラダイムシフト

ふと思ったのは、時期によって日記に書こうと思えることが増減することだ。

 

このはてなブログを開設した当時は様々にネタが思いついて、そのときの萌芽が下書きに大量に残されている(いや、書き終えろよ)。

 

ただ、日常のエピソード性の強弱はそこまで波のあるものではないと思えるので、それは自分の気の持ちよう、目の開き具合によるはずなのだ。たとえば電車内でお産に出くわしたとか、目の前で人が事故にあったとか、そういったことがあれば日記を書かざるを得ないと思うのだが、それはむしろエピソードに強制されているのであって、自らのリフレクションは働いていないだろう。僕は平凡な日常を生きている(おそらく大半の人もそう)ので、その中で日記を書くことへのモチベーションが強弱するのは、前述の理由によるとしか思えないのだ。

 

5/9に書いたことともつながってくるのだが、日記への執筆意欲がわかないというのは、自分が熟考できていないことに対する警鐘であると思う。要注意だ。

開襟セヨ。

自分語りが嫌い、という話。

 

ネットで自分語りを見かけ、ひとりイライラしていてふと我に帰る。なんで俺、こんなことにキレてんだよと。

 

考えてみれば「自分語り」そのものが嫌いなわけではなくて、面と向かって人の話を聞くのは大好きだし、それが波乱万丈赤裸々空前絶後前代未聞な話であったときなどは思わず拍手してしまいそうになる。たとえその話の中身や運びがお粗末なものであったとして、一向に構わない。その人の人となりが表れたエピソードや語り口は、何かしらの恩恵を自分にもたらしてくれると信じているからだ。人生を垣間見られる、その一点に尽きる。この意味で、人の話を聞くというのは、僕にとっては映画を一本見るというのと凄く似ている。

 

(ところで、あらゆる「話」の成立不成立をめぐっては、話し手の責任が取り沙汰されがちだ。「あの人は話がつまらないからイヤだ」というアレ。たしかに、話し手の側の責任は大きい。もし、話を聞いて"もらって"いるのなら、相手を愉しませねばならないという義務が発生することは間違いない。だが、単純にそこに現れる不和の原因が話が面白い如何によるかといえば、そうでないと思う。だって、僕、つまらない話でもストレスフリーに聞けるし。話のエピソード性というよりかは、話し手の態度による問題のほうが大きいのではなかろうか。つまらない話を「つまらない話なんだけどさ…」と始める人の話はいくらでも聞けるが、「俺の話を聞けよ!」ってオーラばりばりで始められると気が滅入る。それだけのことじゃなかろうか。だとすると、今度は「聞き手の責任」について考えないとならない。人の話を聞くのにもコツがあると思っていて、それは、聞き手は聞き手としての責任を果たさねばならないということだ。なぜなら、話し手はある種の覚悟をもって自己開示をしているのだから。「話」というのが相互の合意の上に成り立っているとするなら、話し手の語りかけに応じた以上は、「聞く責任」がある。ここで気をつけたいのはあくまで「聞く責任」であるということで、「金言を授けねばならない」という責任はよほどの場合は発生しないということだ。もし、話し手が生産的な対話がしたいと思っているのであれば「話」の主題を「自分」に置くことはないだろう。対象は何かしらの事柄に置かれるはずだ。この点を履き違えると、お互いに結構なストレスを抱えることになってしまう。

余談だが、先日読んだ文章で、「"話し下手""口下手"とはよく言うが、"聞き下手""耳下手"という言い回しは滅多に使われない、というか、存在しない。それだけ、日本語の意識世界の中では"聞く"ことへの能動性が取り沙汰されてこなかったのだ」とされていて、なるほどなぁと思った。)

 

はじめの話。自分語り自体が嫌いなわけではないとしたら、じゃあ何が気に食わないのか? 

 

ひとつには、それがネットという場での行為であることに対する違和感だと思う。

日本人は厳格な個人領域を持っている。その領域は自分の体の大きさよりも決して大きくなく、小さくもない。つまり、日本人の体と個人領域はほぼ一致しているものだ。だからこそ、日本の文化のなかではごく小さな身体接触ですら、何か特別な意味を持つことになる。欧米の人たちが挨拶がわりにハグ、キスをすることとはよい対照を成していると言えるだろう。彼らの個人領域はむしろ、共同的に延長している。

そして、日本人の領域感覚において厄介なのは、それが閉じられた公的空間で欧米人達のように共同領域として延長されることはなく、新たな領域が設定されてしまうところにある。社会的領域とでもいうこの領域には、その場の全員でその場をつくりあげているという感覚があり、往々にして、その「場」というのは緊張感を伴う絶対相互不可侵の領域である。互いに間違いなく存在していて、存在を認識しているのだが、互いに最大限「公的でなければならない。たとえるなら全員で石ころ帽子をかぶっているような状態。だから、その社会的領域に個人領域を持ち込もうものなら、冷ややかな視線と咳払いで黙殺されてしまう。皆さんも、電車でメイクしてるお姉さんを睨んだりしてませんか。欧米では車内通話がNGじゃないところもあるそうですよ。

 

このような感覚が日本人にあるとすれば、人前で必要以上に喋ることをはしたないと切って捨てた価値観もうなずけると思うのだ。そして、僕の自分語りへの嫌悪も説明できてしまう。端的に、ものすごーく平たく言ってしまえば、「そういうのは飲み会でヤレ」って思ってしまってムカつくのだ。誰だよお前って。

 

でもそれを、面と向かって自分を語る彼に向かって言って叱責するまでの正当性は僕にはない。だって、長々と分析しておいてなんだけれども、あくまで個人の感覚の話でしかないのだから。彼と僕とでは、上述の領域の測り方が違うのだと思う。彼にとっては、ネットで呟きを見合う何千何万人という範囲が共有領域であって、彼はもしかしたら、見知らぬ誰かの自分語りに付き合って、自死を思い留めさせたりもしているのかもしれない。そう考えると、彼は心が広い。自分は狭い。誰にでも自分を出せるのはある意味、羨ましい。

 

でもそうはなれない。僕が自分を出すのは世界のうちで一握りの人に対してであって欲しいから。願わくば、出させて欲しいから。頼むよ。

死(転載)

こちら、2014年9月15日の自身のmixi日記を発掘したもの。

5年前の僕が書いた文章、今よりこなれてる気がする。書くのが下手になったかな?

 

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 町内の回覧版で訃報が届いた。 

 近所の老夫婦が逝去されたとのことだった。ことの次第は詳しくはわからないが、病で臥せっていたいた夫人が亡くなり、主人もそのあとを追って自死したということらしい。

 これをどうとらえればよいのか、という問題でここ数日逡巡している。或る人にかかれば夫婦の愛の強さを物語る美談となるだろうし、また或る人にかかれば命を粗末にした醜聞となるだろう。 
 まず、死について自分の態度を定めておかなければならない。死とは何か? 
 よく、「死とは唯一万人に平等なものだ」という言説を聞く。私はまるでこの言い分には賛同する気がない。なぜならば、ここでいう死の平等性とは、観測不可能性と同義であるからだ。「富めるものも貧しきものも、死ねば終わる。何も残らない。だから死とは平等なのだ」と言われても、我々は死後の世界を垣間見る術を持たない。この言い分は、死(および死後)について十分な観測と解釈がなされて初めて成立するものだと思う。 
 だから私は、死は決して等しいものだとは思わない。いや、正確にいえばこうだ。「死とは、その動機、実際に死へと至るプロセス、そしてその後の影響という点において十人十色である」。 
 では、死はポジティブなものなのか、はたまたネガティブなものなのかというところもはっきりさせておかねばなるまい。自殺者が増大しているこの時勢もあるのだろうが、人々は死をネガティブにとらえている節があるように思う。私も幼いころ、死というものを考えるようになって、どうしようもない恐怖にかられた記憶が甦る。それからある程度、歳をとって、自分なりに先述のような思想にたどりつき、気休めの安寧に浸かっていたように感じる。「誰もが死ぬのだから、考える必要はない」というのは、思考の放棄でしかない。もっとも、若い時分にはそれで十分なのかもしれないが。 
 いま、私は、死をどうとらえればよいのだろうか。 
 つい昨日、立花隆氏による臨死体験をめぐるドキュメンタリーが放送されていた。それによれば、臨死体験というものは確かに存在するというのが、最近の脳科学の分野で明らかになったのだそうだ。脳のなかの最も原始的な部位である、辺縁系がそれを我々に見せるらしい。では、なぜ辺縁系にそのような機能が備わったのか、という疑問が当然浮かぶ。だが、科学の目的は「どのように現象がおこるのか」を明らかにすることにあって、「なぜ現象がおこるのか」という部分はわからないし、そもそもWHYの究明は目指していない、と、何とも煙に巻かれたように締めくくられてしまった。だが、通常の科学番組と違うのは、案内役である立花氏がひとつの解釈を提示してくれたことだ。氏曰く、「我々は、エピクロスが言ったようなアタラクシアに自ら到達するための機能を備えているのではないか」。 
 死をポジティブにとらえる糸口が見えた気がした。そもそも、生物という観点ではその目的は繁殖に終始する。だが、精神を手に入れてしまった我々には、それだけに没頭することは許されない。ならば、何かしらのことをなさねばならない、という強迫観念にかられるような気もするが、それも違うと思う。二十余年しか生きていない身空では、人生が何なのかということは到底理解できないし、持論も提示できないが、ひとつだけ死に対面して目標がある。 

 死するならば笑って、である。

覚悟

駅から職場まで歩いている途中、凄い人を見た。

 

はじめに僕の意識に入り込んできたときは、その人は少し先のほうにいたので、何か特別な思いは抱かなかった。この時期だし、リクルートスーツを着た女性が街を歩いていることには何の不思議もない。ただし、明らかに道で出くわしたのだろうと思われるオバちゃんと立ち話をしているので、オヤと思った。公共の場で初対面同士が話している場面には、なぜか興味をそそられる(おそらくそれは僕の日常にはない光景だから、何でそうなったのか、ということを可能な限り推察してしまう)。

近づいていくと、立ち話が生まれた理由がわかった。その人は、抱っこ紐で赤ん坊を負うていた!

 

追い越しざま、じろりと見てしまったのだけど、2人は立ち話に夢中で、さして不自然がられることもなかった。前を向き直して歩いて行き、職場につくまでの間、いや職場に着いてからもその光景はしばらく頭を離れなかった。

大方、オバちゃんも僕と同じような感動を覚えて、その人に話しかけたのだろう。

 

20そこそこで子どもをつくることに対して、今の世の中は間違いなく優しくない。大学進学率と第一子出生時年齢には正の相関が認められるそうだ。やれ常識がない、だとか、やれ計画性がない、だとか、やれ子どもが可哀想だなどという声が聞こえてきそうだ。実際、自分の身の回りに在学中に結婚・出産をする人はついぞ現れなかった(自分は学生、奥様は社会人という人はいた)。僕には縁がなかったこともあるけど、じゃあもし相手がいたとして、子どもをつくろうと思えるかというと、たぶん無理だった。子どもどころか、結婚さえ盛大に躊躇していたと思う。何故か、と言われるとやっぱり僕も金や社会通念みたいなもの引き合いにだしてしまうはずだ。でも、それは逃げ、自己正当化をしているだけだ。問題は本当はもっとシンプルなもの。ずばり、覚悟ができないからだ。

 

もし結婚したら、もし22,3で子どもをこさえたらどうなるか。そう考えずにはいられない。家庭を築くということは、自分の生活は永遠になくなり、そこには家族の生活が立ち現れる。安寧を得るために安寧を捨てることへの恐怖を感じる。

 

その点、彼女の存在の堂々さたるや。

彼女は子を連れて説明会に行ったり、筆記試験を受けたり、面接に臨んだりするのだろうか。子供が泣き出したらどうするのだろう。ぜひ、堂々と笑顔であやしつけていて欲しい。すみません、なんて言わないでいて欲しい。

 

僕が見た彼女に賛辞を送りたいところだ。そして、願わくは子どもが健やかに育たんことを。

Fantastic! Awesome! JAPAN!

近ごろ、日本再発見系の番組、多くないですか。

 

自分がテレビを見てきた歴史は(といっても最近は見なくなったが)30年にも満たないので、流行り廃りを俯瞰してみるには知識も経験も足りない。あくまで自分の感覚として、だけれども、10年前はクイズがやたら流行り、いまは日本再発見(あるいは外国人系)が流行っているという実感がある。

 

航空網が充実し、世界が狭くなり、日本からそして日本への渡航者が増えたことによって、「外国」が身近になったことが大きな要因だとは思う。でも、それ以上にまずい原因がある気がする。

 

こんな考えに思い当たったのは、外山滋比古翁や故森本哲郎金田一春彦が3〜40年前に書いた文章読んでいた時のことだ。そこで述べられていたのは、まぁ、ざっくりといえば日本人批判なわけだ。曰く、日本人は同質的集団的で自己決定ができない。意思表示が弱い。曰く、島国で外敵を意識して来なかったからか、競争意識が弱い。曰く、形ばかりの儒教観にしばられている……などなど。よくもまぁ、自国民にそこまで文句をつけられるものだと感心してしまうが、本心で書いていたのは半分くらいだろう。半分は当時の流行りに合わせたのだと思う。「外国」が意識しはじめられ、国際感覚を磨きたいと考える人があふれていた時代だろうから、著述家たちの海外エピソードは貴重だったのだ。

ようは、3〜40年前には自国を馬鹿にする、つまりは「海外に比べて日本のここはまずいんじゃないの?」という論調(最近もこんな番組あったな)が流行っていたんじゃないかと。あまり健全ではないかもしれないが、それが日本人の、ひいては日本の成長に役立った部分も多いにあるだろう。国際人は増えたし、旧態依然としたシステムが破壊されたりもしただろう。(ただし、個人的には「海外ではこれが常識なんだぞ」と得意げにのたまってくる連中はへどが出るくらい嫌いだ。ここは日本だし、海外ってどこだよ。)

 

そんな流行りに比べて、いまの流行りはどうだろう。ちょっと見苦しくないか。

日本製品の素晴らしさを訴える番組、日本への旅行者に密着して、喜ぶ外国人の様子を流す番組、里帰りする外国人に日本の家電等を持たせる番組、etc...etc...

これを見た視聴者はどこに面白さを感じるのかと考えると、それは満足や承認欲求を前提にしているとしか思えない。「ボクたちの国は凄いとこなんだなぁ!」と。でも実際にそうか? 僕は日本が好きだし外に出たこともないのだが、凄いところかどうかと言われれば、もはや外国から抜きん出ているとは思えない。変わっているのかもしれないが。経済も冷え切っているし、人口も減少する一方だ。

今の流行りは、やや強い言い方をすれば、"国威掲揚、自国礼賛"に他ならないと思うのだ。そして、そんな番組が流行るってことは、日本の輝きが鈍り、国威が落ちていることの証左でしかないと思う。流行りから見える、「日本終了のお知らせ」だ。

 

日本は自国を海外と相対化させることで成長してきた。猿真似とビゴーに馬鹿にされたもんだが、それでもやってのけた。"人のふり見て我がふり直せ"をやってのけた。でも、いつのまにかそのハングリー精神がどこかに行ってしまったらしい。傷の舐め合いはしたくないものだ。

Neurosis × Converge ライブレポート

スマホのメモに残っていたので、なくならないうちにここに載せておく。二日間の東京のうちの1日目。2日目も行ったけど、こちらはレポを書いていない。(2019/05/18記)

 

Converge

 

バカ上手い。音良い。ノれるの三拍子揃った。

ベン・コラーの代理できた筋肉黒人も、2週間で仕上げたとは思えないうまさ。ポテンシャルが高いんだろうな。時々ギターが聞こえづらい時があったような気もするけども、そんなことは気にならないくらい、全体として素晴らしかった。

ジェイコブはモーターヘッドのシャツにジーパンという80'sメタルヘッドのような出で立ち。長身痩躯で首までびっしりのタトゥー、自信満々のパフォーマンスでカリスマが光る。彼が静かに手を広げるだけで客が盛り上がる。客席と距離があったので、いつものように歌わせてる姿が見られなかったのはちょっと残念。

カートは安定感のある、職人のようなプレイング。コーラスがうまいんだよね。ニューロシスのスコットとちょっと声が似てる。

ネイトは遠目であまり見えず。でもいつも同じで、タンクトップ、野獣のようなコーラスが響いてきた。

ユライアンは四肢とスティックが太くて笑っちゃった。でも動きは機敏でめちゃくちゃうまい。カートの顔見ながらときどき不安そうにプレイしているように見えた(笑)

 


セトリについては予習不足感は否めない(前もって見てたのに)。Concuvineでself-deconstructionの人が出てきてお祭り騒ぎ。はじめてまともにモッシュした。

 


Neurosis

 

掛け値無しに、今まで見てきた全ライブのなかで1番よかった。何がよいのかといえば、第一に音、第二に音、第三にムード、第四に曲。

驚いたのが、CD音源と同じ音が鳴っていたこと。後ろでなっているSEもノアの手によって再現されていた。しかし、決してCDの完コピというわけではない。言うなれば、「音源が質量を得て飛んでくる」という感覚。いまのところ、これ以上の形容は思い浮かばない。ビリビリと体に響いてくる爆音は、耳に痛いということもなく(現にほぼ最前だったのに耳鳴りも残っていない)、圧倒的な征服力で体を貫く。

ニューロシスはライブバンドだったのだ!これは大きな発見だ。

 


1時間半きっかりで収めてきたが、その間、MCは一切無し。マジで一言も話さない。それがまた、空気作りに大きく寄与している。彼らとは空間を共にしているようで、はるか向こうにいるような感覚さえあった。神々しさはあそこからも滲み出ていたのだと思う。

 

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(ここから後日記)

 

二日目の衝撃は、"You Failed Me"の再現よりも何よりも、Neurosisが"Stones from the Sky"をプレイしたことだ。我が人生のベストチューンのうちの1つ。

鐘の音に誘われてNeurosisの暗澹たる世界に導かれる。すると単純で単調なリフがどこからか聴こえてきて、それが延々と繰り返される中、Scottの慟哭のようなボーカルが鳴り響く。静寂が訪れたかと思えば、再び音の奔流が我々を飲み込む。そして最後には、ノイズと共にぷつりと音像が途切れ、聞き手は置き去りにされてしまう。完璧な構成だ。Neurosisの音楽は視覚的触覚的ですらあり、もはやそれは一つの体験と呼ぶにふさわしい。

アルバムの中での位置付けもそうであるように、この曲はライブの最後にプレイされた。ノアが曲間でMIDIパッド用のスティックをとったので、もしや…とは思ったが。

終演後、Neurosisの暴虐が去り、我々はやっぱり置き去りにされた。素晴らしい音楽体験であったと思う。余韻がはんぱなかった。

じっくり味わう、ということ。

最近の子どもは、無気力だ、無感動だという文章を読んだ。ワタクシはもう子どもと呼ばれるような年齢ではないものの、その文章のなかで「子ども」と呼ばれるような世代の人間であるわけで、思い当たる節もあったりして、ちょっと耳が痛いような思いがした。でも、そこはグッと飲み込んで作者の言いたい事に寄り添ってみて、発見したことがあった(これができるのが"オトナ"ってやつでは?)。

 

作者曰く、最近の子どもは日記が書けない。理由を聞けば、「だって、昨日は何もしなかったから」。これは凄くわかる。なぜなら何を隠そうこのワタクシも、mixi全盛の頃、誰に頼まれたわけでもないのに「これから毎日書きます!」と宣言して、1,2日はいいのだけれど、3日目あたりから書くことがないと思いだし、結局1週間くらいで更新を続けられなくなった経験があったからだ。

今でも覚えてるのは、自分の日記に「無題」というタイトルのものが多かったこと。たぶん、タイトルから入ろうとしていたのだろうなと推測する。タイトルから入るというのは、何かのトピックやエピソードから入ることになるわけだから、何か興味深い・心に響く・腹の虫が収まらないような事柄がないと書けなくなってしまう。そんな日記に、なんの変哲もない日常が入り込む隙はなかったのだろう。

 

書こうと思っていたことからはズレるが、ここで思い当たったことがある。なぜ自分はタイトルから書こうとしていたか。それには疑いようもなく、小学校からの作文教育が影響していたように思う。タイトルというのは曲者で、書き上げようとしているものによってはじめに考えるか、あとから考えるかを使い分けるのが望ましい、と思っている。ちなみにこのブログでは後者の方法をとっている。随想なんてものはとにかく筆に任せて書いていればいいわけで、題名なんてものをはじめにつけたら筆が縛りつけられてしまうからだ。世の著述家によってもどちらから入るかは得手不得手時と場合によってわかれるだろうが、現代の作文教育の題名(と自分の名前)からはじめましょう!という風潮にはちょっとした弊害がありそうだ。それは内省を許さない風潮であるように思う。

 

閑話休題。話を戻す。

件の作者がその子どもに指導したのは、「何もなかったということを書けばいい。何もなかったことへの悲観でも、楽観でもよい。その日考えたことを書け」といったことであった。なるほどこれは一理ある。書くという行為の可能性は無限であって、綴っているうちに自分の思いもよらなかった発想へと至ることが少なくない。かくいう自分も、書いていて前段の作文教育への疑問を思いついたのである。日記ないし随筆の機能というのは、本来は実に個人的かつ利己的なものであるのだろうと実感した。思考の整理、というと外山氏のようであるが、書くという行為がその一助となることは間違いなかろう。

ここで前述のこぼれ話とつながってくる部分があるわけだが、現代は何かとエピソード性の強さが取り沙汰される時代であると思う。ネットニュースのタイトルも、ツイッターの投稿もそうだ。芸人の一発芸もそうかもしれない。短い言葉に込められたインパクトが重視されすぎている気がする。堪え性がないというべきか。コンテンツが溢れる時代、読むもの見るものが多すぎる時代、その中にあって我々は、ひとつのものを吟味するということを忘れつつあるのではなかろうか。

 

話が遠くまで来すぎてしまった。締まらないが、結論を急ぐことでもない。とりあえずは、今日はここで筆を置くことにする。